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森 雅敏会長

京王井の頭線「池ノ上駅」北側の地域は、明治から昭和にかけて下町から多くの職人が移り住み、戦争という困難を乗り越えてきた、歴史ある“職人の町”として知られています。

今もなお伝統と粋が息づき、地域の結束もひときわ強いこの地で「四南睦会」を長年にわたり牽引されてきた森 雅敏会長に、お話をうかがいました。

※インタビューは、令和7年6月16日、北澤八幡神社にて収録。

四南睦会

職人の町で育まれた

『お祭り大好き魂』が今に続く

                     森 雅敏

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4年ぶりに制限のない人力での神輿渡御も再開。

昨年4月に神輿庫を移転し、今年年番をむかえ、神輿の修繕をおこない勢いを増した『新野睦』の山中会長にお話をうかがいました。

特集 新野睦会

本⽇はお忙しい中、ご協⼒ありがとうございます。

さて、森さんは、四南睦の会⻑になられて何年になりますか?

もう10年になるのかなぁ、瀬川さんが引退されたので、睦の会⻑会の中では 私が⼀番上になりましたね、年齢は。

森会⻑が北澤⼋幡のお祭りに関わったきっかけは?

⼩学校の頃からですかね。

実は今の仕事は私で三代⽬になるんですが 、先々代が戦後に渋⾕から今の場所に引っ越してきて、そこからはずーっと、こちらです。

で、お祭りは、もう物⼼ついた頃には⼦供神輿を担いでいましたね。

その頃から、お祭り好きだったんですね。

いや、お祭り好きというか、そういう⼟地柄だったんですね。

その頃はまだ、東北沢睦と⼀緒のころですね。

確か「北沢四丁⽬」という睦でしたが、 当時の北沢四丁⽬の神輿が今の本社神輿。

お祭り好きだったんでしょうね、あんなに⼤きい神輿を造ってましたから。

⼋町会のなかでも、威勢の良い睦との声もある四南睦ですが、その理由とかは?

当時は、うちの⽅は職⼈さんが多かったんですよ。

鳶さんもいる、左官屋さんもいる、畳屋さんもいる、ペンキ屋さんもいる、電気屋さんもいる。⼯務店も多かったみたいですよ。

で、親⽅達はみんなお祭り好きな上に、それぞれ若い衆を抱えていましたから、祭りとなれば、それはもう盛り上がっていましたよ。

若い担ぎ⼿が沢⼭いて、なかなか激しく盛り上がっていました(笑)

それでも⼤神輿は⼤変だったんですよ、あの⼤きいのを毎年担いでたんですから。

なるほど、元北沢四丁⽬に建築関係の職⼈さんが多かったのも祭りの盛り上がりの⼀因なんですね。ところで、昔は「四南」「東北沢」の⼆つの睦が⼀緒だったんですか?

そうです。昔、下北沢の⼀帯は、北沢⼀丁⽬から五丁⽬までだったんですが、昭和39年に住所変更があって、北沢四丁⽬が無くなって北沢⼀丁⽬になりました。

それをきっかけに、四南睦と東北沢睦とに分かれたんです。 その時、北沢四丁⽬の「四」を残して南側ということで 睦の名前が「四南」になりました。

エリアを具体的にいうと?

東北沢睦は⼩⽥急線の線路前後。

私たち四南睦は 「池の上駅」の北側で「東北沢駅」との間ですね。

池ノ上の商店会もエリアなんですね。

池ノ上北⼝商店会さんもエリアですね。

祭のときは睦が率先して、町内会と商店会も一体となって盛り上げてもらってます。 あと、住宅街にも祭り好きの⽅が多いですね。

中には芸能⼈の⽅もいらっしゃって、かつては柄本明さんや⽊の実ナナさんも御神輿を担がれたり、神輿を新しく造る時にとーんと寄付を頂いたり、よくお祭りに参加して下さいました。

下北沢のお祭りらしいエピソードですね。

若き日の森会長
若き日の森会長

四南睦の半纏(はんてん)についてお伺いしますが、背中に「一丁目」と書かれていますが?

これは現在の地名である北沢一丁目の「一丁目」です。

睦の名前には、旧地名を残したのですがね、半纏は現在の地名となっています。

昭和50年代の渡御

北沢一丁目というと八町会の睦の中でも八幡神社から特に遠いエリアとなりますが、祭りの時には屈指の盛り上がりという話も聞きます。

私が20代の頃は、けっこう若い人がいっぱい居て、若睦みたいな感じで、町内でも夜は盛り上がっていましたよ。昔はね。夜12時くらいまで担いでましたよ。

やはり神社のそばとは違い、遠いと別天地のように自由に盛り上がっていたんですね。

その頃は、けっこう同年代の人がいっぱい居て、祭りが終わったら、また次の年の祭りと、一年中、祭りのことで盛り上がっていましたよ。

やはり祭りは「楽しむ」ことが基本で、年に一回、大声を出して発散させますから。

まぁ、でも最近は若い人も少なくなっちゃってね。

半纏
年代不詳、宮入り

年代不詳。かつての宮入りのようす

すると、やはり日曜日の宮入りの時は、途中はトラックとかの搬送もあるんですか?

いやいや、うちの北沢から神社までしっかり担いで行きますよ!

ただ子供の神輿や山車は宮入りしたところで解散して、搬送しますが…

では、その四南睦の神輿の歴史についてお伺いしましょう。

先ほども話したとおり、まだ北沢四丁目の睦だったときに、現在、本社神輿として担がれているあれを担いでいたんです。

前会長の後藤寿義さんに神社の550年祭インタビューでお聞きしたんですが、あの本社神輿が北沢四丁目睦で作られたのが昭和11年。一、二回担いだら戦争が始まり、金物を供出しろ、という流れが。

でも、まだ出来たての神輿で、世間の人もそんなに知らなかったので倉庫に隠しちゃえ、って事で供出を免れたそうです。

で、終戦後、昭和21年に倉庫から出して担いでお披露目したら、「こんなでっかいのが有ったのか」と町内の人達もびっくりして、大喜びをしたそうです。

戦後、沈んでいた人々の心に明るさを取り戻す一つのきっかけになった、そんな歴史を持つあの大神輿を旧北沢四丁目睦では担いでいたんですね。

でね、地名変更で睦が四南睦と東北沢睦に別れたのを機に、うちは、新しい大人神輿を作りました。

それが二代目の神輿という事になります。

保存庫-宮神輿

惣町睦の神輿となって神社に移された頃の四南睦の大神輿(現在の宮神輿)

その神輿を、今も担いでいるわけですか?

いや、その後平成10年に、もう一回り大きい神輿を造りました。三代目ですね。

それが、今の大人神輿になっています。

ただ、二代目の神輿は、今も使っています。

中高生が担いだり、土曜日の夜に町内を廻る時は二代目、小さい方の神輿を担いだりしています。

日曜日の宮入りの時は大きい方で、という感じです。

これに、子供の神輿二基を加え、現在は四南睦には神輿は四基あります。

四南睦の神輿

神輿が四基も!? 凄いですね。子供の山車の方は、旧北沢四丁目睦から引き継がれたのですか?

子供の山車の方は、旧北沢四丁目睦から引き継がれたのですか?

いや、別れる時に既存の山車(だし)は東北沢睦の方が持って行って、四南は新しいのを作りましたね。

二代目の山車と同じ時に、一回り小さい感じで。それを今でも使っています。

山車の話が出ましたが、最近、子供はたくさん集まりますか?

いや、なかなか厳しいですね。

エリア内にあった北沢小学校が無くなり、東大原小学校の方に統合されてね。

池之上小学校の子達は四南睦と宮本睦に別れている感じかな。

最近の子供はなかなか情報通でもらえるお菓子の良い方を選んだり(笑)

噂で聞いたのですが、中には山車をハシゴする子達も居るらしい。

そうそう、お母さん達がスマホで連絡を取って、そろそろお菓子配るわよ、とか(笑)

睦会独自の情報冊子を作っていらっしゃるとか?

「きずな」という祭り情報を載せている冊子ですね。

睦の青年部会が、平成19年から年四回発行していました。

祭りに向けての準備、盛り上げ、祭り以外での睦の活動や睦関係の人事、祭りの後には今年の睦の盛り上がりを多数写真で紹介していました。

さらに、北澤八幡宮例大祭の歴史から、祭り以外でも地元商店の紹介まで幅広く扱っていましたが、平成28年1月の32号が最終号となりました。

きずな

実は「きずな」のバックナンバーをデータで頂き拝見したのですが、歴史的な写真も多数掲載されていました。こちらの写真は?

昭和29年、まだ四南睦と東北沢睦に分かれる前、北四睦の集合写真ですね。

中央右よりに見えているのが、現在の本社神輿です。場所は松蔭学園のテニスコートの辺りです。

昭和29年の集合写真

こちらの神輿は?

これは昭和40年代の前半と言うことなので、先ほど話した四南睦になった時に新しく造った二代目の神輿ですね。

二代目の神輿渡御
昭和40年代の渡御

すごいですね。貴重な写真もいっぱいで、もはや祭の情報冊子の枠を超えて、タウン情報紙ですね。

これは、祭り大好きな人が多かった四南睦ならでは、まさにタイトルどおり、祭りを中心に「きずな」が深まったのでは。

最後にこれからの四南睦についてお聞きしたいと思います。

お祭り全体で見ると昔はそれぞれ分散というか、別々にやってきましたが、最近ほら、若い人達が連携してね、横の繋がりが盛り上がっていますから。

うちもそうなんですが、ここにきて、東北沢睦も、四五睦もです。

祭りの会長や幹部の人達の世代が若くなってきましたしね。

全体にその傾向があって世代が変わってきたのかな。

それでまあ、会長の中では私が一番上になっちゃいましたが(笑)。

私もそろそろ…

いやいや、まだまだお元気じゃないですか。

では、そんな四南睦の今後の課題とは?

東北沢睦もそうなんですが、うちの地域も昔からこの街の祭を支えてきた職人さんも、それぞれ辞めちゃったり、跡取りが居ないとかね。

祭りとしてはある程度の人が居ないとね。

だから課題としては地域に引っ越してこられた方とか、商店街に新しいお店が出された方、とくに飲食関係の方が多いのですが、そういう方達に、どうやってお祭りに協力して頂くかを考えていかないと。

祭りはとにかく楽しむことが基本。街の結束が強く「お祭り大好き」なこの街の粋な伝統を

今後も引き継いでいきたいと思います。

令和7年の神輿渡御

では、年番である今年の例大祭へかける熱い意気込みを。

年番睦として一丸となって祭礼を盛り上げ、また暑さ対策等を各睦と連携し、楽しい祭礼が出来るよう頑張っていきます。

令和七年の宮入り

本日はどうもありがとうございました。

(インタビュアー・文/伊東雅司)

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主催:北澤八幡秋まつり実行委員会

お問い合わせ:北澤八幡神社

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